③白玉の 歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり 平成22年は記録的な猛暑で、9月までうだるような暑さだったが、 10月も中頃になってようやく秋めいてきた。 秋深くなってきたら、日本全国の飲み助たちがこの歌を口ずさんで、 うんちくを傾けながら一杯やる。 そういう、うんちくオヤジが全国津々浦々にいる。 たぶん、古今東西日本の「酒」に関する短歌の中で、もっとも愛されてきた歌の一つだろう。
僕は、長らく「歯にしみとほる」という表現の意味するところがわからなかった。 「歯にしみとほる」ほど「うまい」「美味しい」というのが、感覚的にわからなかったのだ。 この歌の入った歌集「路上」を読んでいたら、 この歌は、実は悠長な酒飲みの、ひとり酒の楽しみを歌ったものではないということに気づく。 そしてやっとわかった。 なぜ「歯にしみとほる」のか、 これは「うまい酒」「美味しい酒」ではなく、「痛い酒」なのだ。 歯、ひいては心に沁みてくるような、痛い、つらい酒なのだ。 「路上」の中にはこういう歌もある。 なほ耐ふる われの身体をつらにくみ 骨もとけよと 酒をむさぼる 失恋のつらさを忘れる為に、 体を酒で苛め抜き、骨も溶けてしまえとばかりにむさぼる酒。 そんな酒だから 「歯にしみとほる」なのだと。 誰かほかに言及している人はないかと思ってネットで探したら あった。 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり 「シ」音の繰り返しによる流麗な言葉の連なりと、「白玉の」という美しいイメージの言葉に、 静謐な秋の夜にひとり、旨い酒を楽しむ姿を想像しがちだが、 牧水がこの歌を詠んだ夜の酒は、「楽しい酒」などでは無かったのだ。 さて、僕の母方の祖父は、縁側の目の前に広がる海岸線、 国道220号線一本を渡ると日南海岸という場所に暮らし、 夕暮れる時間になると、ゴザと一升瓶とコップを抱えて砂浜に行き、 一合の晩酌を一人でするというのが日課だった。 祖父が海と語らいながら一人呑んだ酒は、 旨い酒だったのだろうか、痛い酒だったのだろうか。 ——————————————————– |